「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします」詩篇119:50

 

 ある人が仕事で大きなプロジェクトを起ち上げていたが、中途で問題が起きて、行き詰まってしまった。暗礁に乗り上げ、何の方策も無いように思えた。しかしその事業は、始める前に主に祈り、主に導かれて起こしたものであった。どうしてよいかわからず、なすすべも無かった。自分の無力に打ちのめされた。

 

主の御前に心を静め、祈ろうと時間を取った。現状と心の思いをことごとく打ち明け、長い時間、主の御前にいた。導きを求め、御声を聞こうと、御言葉に向かった。その時に「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び・・任命したのです。それは・・実を結び、その実が残るため・・」の言葉が心に迫り響いた。

 

主がこの仕事に自分を選び、任命して下さった事が、改めて確信できた。主が導かれたのに、主を差し置いて、自分がしなければと、「自分が」「自分が」と自分が前に出て、気負い、力尽きた姿が見せられた。「自分が選んだのでなく、主が選んで下さった」、「主が」、そこに平安と安堵が来て、その時、自分自身と現状況、又、今後を今一度主に委ねた。

 

すると不思議な事に、思い煩いと恐れが失せて行った。とにかく、主が成し遂げて下さるから、従ってゆけばよいと思え、気が楽になった。すると、不思議が起きて、目の前に道が開かれ、導かれて行き、「主の山に備え」を一つ一つと体験して行った。

 

今、もし行き詰まっているなら、とにかく主のもとへ行こう。心を打ち明け、委ねて行く時、御言葉を示し、御心の解決へと導かれる。

 

・・・・・・・・・・・

悩みの時、苦しみの時、「御言葉を与えて下さい」と祈ろう。御言葉の戸が開くと、光が差し、わきまえがなくとも、悟りが与えられる。状況が解き明かされ、なすべき事がわかるようにされる。平安の道へと導かれる。祈って求めよう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係