「・・聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます」 ヨハネ14:26

「“作り笑い”はできるが、“作り喜び”はできない」との言葉がある。心に反してでも、笑顔は幾らでも作れるが、喜びは自分で作

り出すことはできない。幾ら喜んでいる振りをしても、心に無ものは無い。自分が一番よく知っている。ある人の同期入社した同僚が、チーフに抜擢された。笑顔を作るが、心では羨望と妬みが渦巻いた。

 

妬ましい思いがどうにもならず、心は暗く苦しかった。喜ぶ者と共に喜ぶ事など到底出来ない。自分には無理だ。どうしても祝福などできない。自分が惨めになるばかりだった。クリスチャンなのにと思うと更に情け無くつらい。妬みは、相手でなく、自分が苦しい。喜びも平安も無い。こんな状況にとうとう耐えられず、いつも学んでいる通り、あるがまま祈ろうと、主の御前に行った。

 

「喜ぶ者と一緒に喜べません。妬んでいます。苦しいです。どうにもなりません」と心を注ぎ出し祈った。自分の内にあるものを一つ一つ認め、主に吐き出し、悔い改めた。主と交わっていると、あんなに鉛のように重苦しかった心が、落ち着いて来たから不思議だった。

 

そしていつも学んでいる事が思い起こされた。各々が全く異なり比較が出来ない事、主は自分にも、自分のための祝福を備えていて下さる事、素直に受け取れ、平安へと戻された。突如の事態にこそ、普段学んでいる事を適用して行こう。

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御霊は様々な形で導いてくださる。肉は喜ぶ者と一緒に喜べるはずがないと思う。「しかし、あなたがたはキリストのことを、このようには学びませんでした。」御霊の導きに委ねていこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係