「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」 箴言29:25

 

 ヘロデ王は、ヨハネを正しい人と恐れ、保護していた。しかしヘロデヤの娘が踊りを舞った時に「何でも欲しい物を与えよう」と誓った。娘は、母親に言われ「ヨハネの首を」と願った。王はヨハネの事であり、大変心痛めたが、自らの誓いと、そして体面ゆえにヨハネを殺害した。ヨハネの 語る神の言葉を聞いていながら、保身に走り、人前を保つがために、ヨハネを抹殺してしまう。

 

ヘロデは、ただ神の言葉に喜んで耳を傾けるだけで、御言葉に向き合い、悔い改める事は無かった。神の言葉に自らを従わせ、方向変換するという事をしなかった。ヘロデは王であり、最高権力を持ち、心痛むのであれば、娘の願いを退けることができた。にもかかわらず、娘の言う事に従ってしまった。

 

ヘロデは、神を恐れず、人を恐れた。めんつを取り繕うことが最優先であった。そのために大きな間違いを犯してしまった。私たちはどうだろう。自分が思う以上に、人の目に縛られているものだ。人への恐れのゆえに、事を誤ってしまう。そうであれば、神の言葉に喜んで耳を傾けていながら、御言葉に従わない事になってしまう。

 

人への恐れは、古い性質にあり、根深く培われている。まず気づきから始まる。気づきが与えられるよう祈っていよう。御言葉を喜んで聞いてはいても、示しに従わないなら、実を結ぶことがない。実を結ぶ生涯とされるために、今、目の前に示されている一歩に従おう。

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誰にでも良く思われ、誰とでも上手く付き合う事ができるだろうか。それが可能なのは、人の評価から解放された、御心に明け渡している人では無いだろうか。人より主に信頼した生き方を選ぼう。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係