「すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります」ヤコブ1:25

 

 信仰の成長のために、主の御声に聞く事がまず大切だ。聞かなくては始まらない。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる」とある通りだ。まず御言葉を聞く事から信仰が始まる。そしてその聞き方が種蒔きのたとえにあるように、自分の事として聞かなければ、他人事、傍観者的態度なら御言葉が素通りしてしまう。

 

道ばたの固い心だと種をはじいてしまい、心に植わらない。種が入らないなら、実を結ぶ事は望めない、不可能だ。素直な心で「主よ、お語り下さい。しもべ聞きます」のへりくだった態度で聞く時に、主の御声が御霊によって心に響いて来る。その示された御言葉をそのままにしない事が大事だ。示された事に従う時に初めてみわざが現される。

 

「さとしの方へ足を向けた」「急いで、ためらわずに、仰せを守った」「みことばを実行する人になれ」「聞くだけの者であってはならない」それは自分を欺く事になる。どうすれば実行出来るのか。御言葉を一心に見つめて離れないなら、実行する人になる。そしてその行いによって祝福されると。

 

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに実行しなさい」とあるように、いざ具体的に従おうとする時に、サタンの妨げが来る。よく経験する。「何で私が」のつぶやき、「本当に語られたのか」「従って大丈夫なのか」疑いがやって来る。サタンをわきまえて、御霊の助けにより一歩踏み出そう。今、従うべき事が導かれているだろうか。主が手を取って下さる。祝福が用意されている。

------------

御心を実行しながらも、あれこれと邪魔がくる。ふと気をそらせば他の事が気になる。御言葉を一心に見つめていないと、本当に心もとない者だ。目標を見つめて、今日成すべき事をやり遂げよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係