「そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません・・だから恐れることはありません」 マタイ10:29

 

 雀は、価値の無い、小さなもの、無力なもの代名詞のとして使われていた。誰も気にも留めないような存在だ。アサリオンというのは一番安い値段であり、最も安価な値で売られている雀も、「そんな雀の一羽さえ、父のお許しがなければ地に落ちることはない」と。

 

御父の許しがなければ地に落ちないとは、こんなにも小さな雀一羽さえ忘れられていない。主の目に留められている。つまり常に堅く守られているのだと。ましてや、雀より遙かにまさっている私たちの事を片時も忘れられる事はない。時に挫折感に襲われ、自信が持てず、自分は無力であり、何の取り柄もない、役に立たない者と思う事があるかも知れない。

 

しかし主の深いご愛が、主の慈しみのまなざしが注がれている。決して変わる事のないご愛で愛して下さっている。私たち一人一人の何もかもをご存じで、私たちの日々を、人生を支配し、見守り続けて下さっている。「だから、恐れることはない」と。突然、何が起ころうと、どんなに厳しい状況になろうと、決して恐れる事はないと。

 

私たちは恐れでいっぱいだ。対人関係の不安、病気の恐れ、仕事や経済的な事の恐れ・・。しかし主は深い慈しみの目で、見ておられる。誰にも見られず、理解されずとも、主が、慈しみのまなざしで、じっと見ていて下さると思う時に、心に支えが来て、苦しい中も乗り越えて行ける。

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簡単に落ち込みネガティブになる自分であっても、一羽の雀と共におられる主がその何倍もの愛と慈しみの目で見ていてくださる。思い煩う時には、恐れることはないと主の御約束を思い起こそう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係