「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい」エペソ5:8

 

 ある人が、初めて教会へ行った時に「あなたは罪人です」との説明を受けた。正直、ムッと来て、反発を感じた。真面目に、一生懸命に生きて来たつもりだ。非行も犯罪歴も無い。それがどうして? しかし、教会で聖書の学びを続ける中にも、罪人との言葉がずっと耳を離れず、色々考えていた。思いが巡る中で、今まで全く考える事もなく、目にも留まらなかった、心の内側に思いが至った。

 

自分は、福祉の仕事に志を持ち、携わった。職場で人々のためにと、身を粉にして懸命に頑張って来た。周囲の皆にもそう思われていた。良い人であり、周囲に感謝されていた。だが心の内を見た時に、自分は人に良く見られたい、嫌われたくない、認められ評価されたい。強い思いがある。それなら人のためなどでなく、自分のためではないか。

 

人からの賞賛は心地良い、仕事も自己実現のためだ。それなら自己満足ではないか。物腰は低く、決して表には出さないが、心の中では人々を見下し、自分が一番正しいと思っている自分。学びの中で、御霊の光が来て、自己中心、高慢、プライド、虚栄心が示された。御霊により初めて罪がわかった。そして主の十字架がわかった。

 

御霊によらなければ何一つわからない。こんな事、誰でもしていることだ。別に当たり前であり、何が悪いのかわからない。罪の暗闇に、御霊の光が来る時、初めて罪がわかる。これは奇跡であり、大きな恵みだ。

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闇の中では闇はわからなかったが、光によって闇がはっきり示された。照らされた罪を認めて光のもとに行こう。主は照らし赦してくれる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係