「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません」使徒6:2 

 

 使徒の時代に、信者が増えると問題が生じて来た。ギリシャ語を使うユダヤ人たちから苦情が出た。というのは、当時貧しい人々もいて、食事の配給をしていたのだが、自分たちのやもめが、おろそかにされている、不公平だと。不満から分裂が起きて、聖霊の秩序が乱れてはいけない。

 

人数が多すぎて、使徒だけでは、到底、対処不可能だ。そこで知恵と御霊に満ちた評判の良い人7人を選んで、様々な実務的仕事に当たらせた。使徒たちが教会の土台である祈りと御言葉に奉仕に専念できるようにと。使徒たちも食卓の事に時間が取られて、祈りの時や、御言葉の準備に十分な時間が割けなくなってきていた。

 

「もっぱら祈りとみ言葉の奉仕に励む」ことにするとは、いかに祈りと神の言葉が大切かを示している。最優先事項だ。そしてその結果「神の言葉がますます広まって行き、弟子の数が非常に増えて行った」。

 

祈りと神の言葉が第一は、私たちの個人的生活にも当てはまる。いろんな人々が同じ事を経験している。ある学生は、高額バイトに飛びついたが、高額だけあり、残業残業で仕事量は半端無く、身体も疲れ果てて、祈りの時間が全く持てなかった。気持ちにも余裕が無く、イライラピリピリし思い煩い、ストレスが溜まる一方だった。

 

何のための仕事かもわからなくなり、主に叫んだところ、祈りと御言葉、主との交わりから離れている事を示された。バイトを変えた。今、気持ちに余裕が無いだろうか。主と交わろう。息を吹き返す事ができる。

 

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今、多忙過ぎて、もし主との交わりがおろそかになっていたら、ちょっと立ち止まろう。少しの時間でも、心を主に向け、御前に静まろう。主はまことに生きておられるので、御霊の流れに触れて、息を吹き返す。新たにされる。御言葉が心にあると一日が全く違う。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係