「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです」 マタイ7:25

岩の上の家と砂の上の家は、外見自体は同じような家だった。しかし嵐が来た時に、二つの違いがあらわになった。岩の上の家は、どんなに暴風雨が吹きつけ、洪水が来ても、びくともせず、砂の上の家は倒壊してしまった。外側は、全く同じであったが、その違いは家の土台にあった。

 

土台とはイエス・キリストであり、又、御言葉を聞くだけでなく、聞いて実行する事であった。砂の上に建てた人も、御言葉を聞かないのではなく、聞いていた。しかし実行する事は無かった。御言葉を聞いて、従わないということは、御言葉を聞かなかった事と同じだ。物理的には聞いていたかも知れないが、心の耳で決して聞いていない。

 

御言葉は「従います」の姿勢がある時に、聞こえて来る。そして聞いた御言葉から信仰が起こされる。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる」。心で受け取った御言葉により、信仰が起こされ、従う事が出来るようにされる。

 

又、砂の上=自分の思いで歩む事だ。御言葉に従うのでなく、自分の思い通りに、自分の好きなように行動して行く。対象が「食べるのに良く、目に慕わしく、賢くする」ように見え、肉の思い、肉の判断で建てると、試練で倒壊してしまう。「しかもひどい倒れ方」になると。肉の思いを退けて、御言葉に従おう。どんな厳しい試練の中でも、苦しみの中でも立ち行ける。

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岩地に杭を打ちこむのは大きな力がいる。それを主がしてくださる。雨や風のたびに自分の思いで動くのではなく、主に力を求めながら主の御言葉に従いながら歩んでいこう。生涯をかけて守られていく。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係