「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」 箴言29:25

 

 「人を恐れるとわなにかかる」とある。エジプトに下った時に、アブラハムは、自分に危害が及ぶのではと、人を恐れたために、妻であるサラを自分の妹だと嘘をついた。それで、パロはサラを自分のところに召し入れた。この時に、主が介入され、サラの事で、パロとその家をひどい災害で痛めつけられた。パロはアブラハムに自分の妻を連れて出るようにと。

 

主の取り扱いゆえに、アブラハムとサラは助け出され、守られた。「しかし主を信頼する者は守られる」とあり、もし、この時に主を信頼しておれば、守られたであろうに。人がどう思うか、人にどう見られるかを判断基準にすると、罠にかかってしまう。人によく見られたい、嫌われたくない、良い人だと思われたい、誰しもに培われた根深くある思いだ。しかしそれこそが罠になると。

 

御言葉の基準からそれてしまうからだ。人の顔色を見、主でなく人を喜ばせたい、人の歓心を買いたい、人に認められたい、それは偶像礼拝になる。相手を喜ばせたいから、ノーが言えない。自分を見失って、迷路に迷い込む。人の言葉や態度で一喜一憂し、人に振り回されてしまう。他人によって自分の幸せ、不幸せがコントロールされる事になる。

 

人を喜ばせようとすると罠にかかる。人でなく、主をお喜ばせしようとする時に、どんな時にもブレないで立って行ける。それは御言葉に従って行くことだ。良い人に見られようとしている時に、気づきが与えられ、動機がいつも修正されて歩めるよう祈っていよう。-----------

人を恐れたり悪く思われたくない動機で自分の意に反する事をすれば必ず嫌な思いが残る。培われた人間関係の知恵を信仰によって変えてもらおう。自分ではなく主が守ってくださると信じよう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係