「主は、あなたを苦しめ、飢えさせて・・人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということ を、あなたにわからせるためであった」申命記8:3

 

 ある老齢の信仰者が証しした。「今までの歩みを振り返る時に、“わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なる”の通りだった。自分の思い通りでは無いどころか、思い通りにならない事の方が多かった。だが“人の心には多くの計画がある。しかし、主のはかりごとだけがなる”の通り、自分のプランが様々あったが、確かに『主のはかりごと』が成って来た。自分の思う通りにならないので、いら立ち、混乱し、失望し、他と比較してひどく惨めになったり、自己憐憫に陥ったりした。しかしそれは自我が砕かれる時であった。

 

自分の願う道は閉ざされたが、不思議に目の前に別の道が開かれ、結果的に遙かに良い、成長の道へ導かれて来た。自分が真に生かされる道であった。まさに万事益であった。自分の思い描いた人生とは全く違うが、主の思い描かれた人生を歩めて来たのだと。これが主が「私のために」備えて下さった人生であり、私へのご計画だったのだと、満足感でいっぱいだ。ただただ感謝でならない。

 

人生の最後に来て、主は最善をされると見せられ、深い感謝と喜びに溢れている。主に従う人生は紆余曲折があり、様々な苦しみ悲しみ、試練があったが、それだからこそ、主を知り、人は御言葉によって生きる事を身を持って経験できたのだと。

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自分のプランに固執している日々は苦しみの連続だったが、主に明け渡した先に、思ってもいない祝福の展開が待っていた。くり返す失敗を通して、主は忍耐深く教え続けてくださった。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係