「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて・・家を建てた人・・洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも・・びくともしませんでした」ルカ6:48

 

 賢い人と愚かな人がどちらも家を建てた。賢い人は岩の上に、愚か人は砂の上に。家の外観は全く同じだが土台が違った。岩の上にてるには、地面を深く掘り、岩を掘削して大変な労働だ。一方、砂の上に建てるのは、楽で、手っ取り早い。何も無い時は、外側は同じに見える。だが大嵐が来て、雨風で洪水になった時、違いが明らかになった。

 

岩の上の家はびくともせず、砂上の家は倒壊してしまった。その壊れ方は酷かったと。砂上とは自分の思い、考え、感情、世の価値観で歩む人生だ。又、土台は富や名誉や地位かも知れない。自分の思いで進む人生は、何も無い時は、うまく行っているように見えるが、試練の時に立ち行かずに、崩壊してしまう。まさに砂のようだ。

 

しかし自分の思いや感情、自分の力でなく、主に聞いて、御言葉土台に、主に頼って従う歩みは、どのような苦しみ、試練が来ようとも、絶対に倒れない。信仰人生では、時に、突如の、想定外の出来事に出くわすものだ。「どうしてこんな事が」「なぜ自分に」・・しかし何があってもびくともしないと。必ず試練を乗り越えて行ける。

 

まず御言葉を聞く事が大切だ。しかし二つの家はどちらも御言葉は聞いていた。「実行する」「従う」で両者は分かれた。聞いただけでは忘れてしまう。御言葉を反すうし、考え、御言葉を「見つめて離れない」時に、実行して行ける。

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試練の時、同じように恐れはあっても主を知っている者はまず祈り御言葉に指針を求める事ができる。本当に感謝だ。どんなに倒れそうな家に見えても土台は主だ。しっかりと立っていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係