「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい」コロサイ2:7

 

 「あふれるばかりに感謝せよ」とある。私たちは病気になった時、どうだろう。とにかく痛みを何とかして欲しくて、その一心だ。必死に祈る。祈りは切実となる。そして祈りが聞かれ、癒やされて元気になると、あんなにすがり祈ったのに、祈りは省略となって行く。休んでいた間の仕事の遅れを取り戻す事に忙しい。業務は山積みだ。感謝はどこへ行ったのだろう。

 

苦しい時の神頼みで、答えられた時は感謝するのだが、一時的だ。問題が無くなった途端、自分の力で生きて行く。主が飛んでしまう。人間の弱さで、すぐに感謝を忘れる。十人のらい病人の箇所で、主は感謝のために戻ったサマリヤ人を大変喜ばれた。「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」。

 

「九人はどこにいるのか」と。九人はもう大歓喜で、主のもとを去り、どこかへ行ってしまった。病の時は、普通に生活できている事が、実は大変な恵みだとわかる。しかし元気になった途端、すべてが当り前になり、感謝が失せてしまう。

 

入院した人を見舞った時に「朝毎に、ああ今日も起きることが出来て感謝だなあと、心底の感謝に溢れます。今までそんな事思った事もなかったのに。病気になった事も心底感謝です。ほんとに感謝が足らない者です」と。感謝するを目の当たりにし、感謝に気づかされる。主の御前に祈って行こう。感謝して行く人に、更なる感謝を増し加えて下さる。そして感謝はサタンの足場を砕く。

 

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不平不満、愚痴に、サタンはどんどん乗じて来る。思い煩い、不安心配、恐れにも乗じて来る。サタンにやられてしまう。しかし感謝する時、サタンは足場が無い、足場を失う。感謝があるところにサタンは働けない。不満でなく、感謝を選択できるよう祈ろう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係