ある独身女性は一人暮らしの中、歳末になり、街がクリスマスで華やかに、キラキラし出すと寂しくてたまらなくなった。巷がにぎわい、特に家族団らんが溢れる年末年始はひどく孤独に感じた。周囲の楽しげな家庭を見ては、主は不公平だと不満が募った。主にぶつけていた時、ぶどう園の箇所で気づきが与えられた。
早朝からぶどう園で働いた人たちは、賃金を契約し満足していた。一日の労働を終える時、十分な糧を得て帰宅できる。妻子の喜ぶ顔を思い励みになったろう。そしてその日の賃金が保障されており、暑さの中も平安もって働けた。ところが隣と比較した途端、感謝と平安が吹っ飛び、不平不満と怒りで一杯になった。
比較が無ければ、自分に与えられた報酬に、感謝し満足できたのに。彼女は、自分の心の態度の問題だと気づかされた。人との比較ではなく、また自分の理想の思いとの比較でもなく、あるがままの自分を認め、そこで上を仰ぎ、主に従って行くなら、来る日も来る日も、平安で幸せでいる事ができるのではないか。比較を止めて、主と自分の関係の中で歩む事が救いなのでは。
主に出会う以前、自分を量るためには、人との差異でしか量りようが無かった。そのため、比較は、誰しもに根深く培われている世の価値観だ。主は少しずつ変えて行って下さる。まず比較に気づけた時に感謝しよう。御霊は気づきを与えて下さる。それが積み重ねられて行く。自由にして行って下さる。
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比較の呪縛は根深く、周りと同じようにしていると安心できる自分に気づかされる。注がれている神の愛をしっかり受けとり、人ではなく神の愛にふさわしい者でありたい。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係