「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ」伝道7:21

 

 人の言葉には、大きく影響を受けてしまう。人からの言葉がひどく気になり、恐れや思い煩いにさいなまれるだろうか。又、面と向かって責められたり、批判され、攻撃を受ける事があるかも知れない。ダメージを受けて、心暗くなり、心沈んでしまう。

 

よく考えてみて、もし自分に非があり、落ち度があるなら、悔い改めなければならないし、又、相手に謝る事が必要だ。しかし幾ら考えても、自分に落ち度が見受けられないなら、御言葉に目を向けて行こう。「人を恐れるとわなにかかる」とあり、自分が落ち込むのは、自分の中で、人の言葉が、神の言葉より上になっていて、人の言葉に重きを置いているのではないか。

 

神の言葉と人の言葉と、どちらが大切なのだろう。御言葉でなく、自分が、人の言葉に振り回されていた事に気づく時に、平安が戻る。「私たちの神のことばは永遠に立つ」絶えず御言葉を受け取り、御言葉を握っていよう。御言葉を通して、人からの批判や目の前の状況を見る時に、神視点で、人の言葉や状況を見ることができる。心が神に向いているからだ。

 

今、平安が無いなら、心がつらく苦しいなら、神の言葉でなく、人の言葉を受け入れていないだろうか。「人はみな草のようで・・」人の言葉は草のようだと。草はしおれ、花は散る。しかし、御言葉は、とこしえに変わることがない。聞く言葉と聞き流す言葉がある。永遠に決して変わることのない、神の言葉こそ、絶えず目を向け、心に受け取ろう。

 

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人の目を気にする、人に嫌われたくない、良く見られたいという強固な根深い価値観がある。神の御前でなく、人の前に生きてしまう。人の言葉に振り回され、平安を失う時、御霊の気づきが与えられ感謝だ。何度も何度も気づかされつつ、少しずつ変えて行って下さる。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係