「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神 よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17 

 

 私たちの人生で最も危険な時は、私たちがどうしようもなく無力で、弱っている時ではなくて、自分に自信があり、自信満々の時だと言われている。そんな時は要注意だ。モーセも40歳で、地位も富も権力も能力も何もかも持ち、我こそはと同胞の救出に立ち上がったが失敗した。

 

ペテロも自信満々だった。主が、皆、つまずくと言われた時に、全部の者がつまずいても、自分だけは大丈夫と豪語した。決してつまずかないと。ペテロは知らなかったが、自分の力に頼っていた。そして本当の自分を、自分の弱さを知らなかった。主の言われた通りに、ペテロは三度、主を呪いをかけて誓ってまで否定した。主を裏切ってしまった。

 

しかし主は、ペテロが失敗しないようにではなく、信仰が無くならないようにと祈っておられた。モーセは老人になった80歳の時に、栄華も地位も力も何もかも失せた時に、民を救出するために指導者として立てられ、用いられた。自分では今更何ができようと思ったろう。主が用いられるのは屈強な軍馬でなく、ろばの子だ。

 

号泣したペテロは、自分の本当の姿を知った。情けない弱い自分、惨めな自分の姿、弟子の資格もなく、ふさわしくないと思ったろう。しかし主は、その砕かれたペテロを回復させ、建て上げ、諸教会のリーダーとして用いられた。

 

「立ち直ったら、兄弟たちを力づけるように」と。自分に何も無い、無力を知る時こそ、実は恵みの時だ。豊かな祝福へと導かれる。

 

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有能で、力に満ち、信仰強く勇敢な器が主に用いられるように思ってしまう。しかし御言葉によると、主が用いられるのは、砕かれた器、主に拠りすがらなければ、何もできない弱い器だ。空の器を聖霊で満たして、用いて下さる。無力こそが大きな恵みだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係