「ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか」ヘブル4:11

 

 御言葉を聞く時に、聞き方に注意せよと言われている。イスラエルの民は、皆、モーセから神の言葉を聞いていた。主は、乳と蜜の流れる地、カナンへ導くとの約束を与えられた。しかし民は、「御言葉が信仰に結びつけられ」なかった。そのため最後まで難しい状況を見ては、主を疑い、いつも不満と愚痴三昧で、目に見える状況を見るばかりで、信仰の目をもって主の約束を信じる事はなかった。

 

聞いた言葉も益にならなかったと。結局は不信仰によりカナンの地に入れずに、荒野で滅ぼされてしまった。モーセは忠実に神からの言葉を語った。聞く側に問題があった。サラも子供が与えられるという神の言葉が、信仰に結びつけられなかった。そのため自分に子供ができないので、奴隷によって子を得るよう画策し、アブラハムは従ってしまった。

 

どんなに御言葉を聞いても、それが信仰によって結びつけられなければ、結実する事がない。信仰は、神の言葉と自分を結びつけてくれる。御言葉を信じる時に、神の言葉は、自分の内で力となり、いのちとなり、主の御心が成就して行く。御言葉を信じて行く時に、御霊が私たちの心に働いて、実現するし、自分が変えられて行く。

 

自分自身はどうだろう。もしそこが欠けているなら、そのまま主の前に認めて、御言葉が信仰に結びつけられるよう祈ろう。主が信仰を導いて下さり、必ず豊かな実を刈り取って行く。

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御言葉の約束があっても問題が起これば思いはネガティブな方へと流れる。肉の価値観に流れそうな時、主に祈ろう。御言葉を信じ従う方を選択しよう。主が助けてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係