「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます」マルコ11:25

 

 ある人が、職場で、皆の前で面と向かって、批判され、きつい言葉で攻撃された。それが理不尽で、なぜそんな事を言われなければならないのか、納得が行かず、ひどく傷ついた。更に、人々の面前でもあり、プライドも傷つき、赦せない思いで一杯になり、怒りと憎しみが湧き上がった。しかし赦せない思いは、自分が苦しい。

 

苦しくてたまらない。心が重く暗く悶々状態だ。しばらくして、部署替えがあり、その相手は、顔を合わす事も無くなった。もう会わないのだから良いようなものだが、しかし目の前にいなくなっても、憎しみは消えず、心は苦しくてたまらなかった。赦せば、自由になる事がわかる。それなら赦せば良いと思うのだが、どうしても赦せない。

 

忙しい時は紛れているが、時間が出来ると、ふっとよみがえり、心に影を落とす。楽しい時も楽しくなく、牢獄に捕らえられた囚人のようだった。つらくて、主の御前に行き、何もかも心のありのままを打ち明けた。赦せない事、憎んでいる事、しかし苦しくて、もし解放されるならそうしたい事・・葛藤があったが、このままではいたくない。

 

ずうっと御前で思い巡らし、考え、祈った。そしてとうとう赦すことを決意した。「赦します。助けて下さい」と、主に意志を向けて、った。するとあんなに苦しかった心が、すうっ~と平安になって、驚いた。みわざだとしか考えられなかった。生きて働いておられる主に触れた瞬間だった。心が自由にされ、嬉しくて感謝でならなかった。主と自分の間に隔たりをつくっていた事に気づかされた。

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自分には赦すことが出来ないからこそ祈り始めよう。繰り返し考え続けるより主に助けを求め、御霊に満たされて心を守ろう。必ず主に明け渡せ委ねていける。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係