主は「求めよ。そうすれば与えられる」と言われる。まず「求めよ」と。「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないから」だと。しかし私たちの願う事が、神の御心に沿ってなければ叶えられない。自分の肉の思いかもしれない。自分の願いが、御心に適っているのか、どうかがわからない。そんな時はそのまま祈って行けば良い。
願いが、もし御心と違う方向なら、主はその事も示し、導いて下さる。祈りを軌道修正しつつ導かれる。御心でなければ、止めても下さる。ある人が、ある志が与えられ、主の御心だと思え、祈り、進もうとしていた。しかし身体面の弱さがあり、親族はそれを心配し、皆が反対した。身体を気遣うゆえだった。しかし本人はどうあっても御心だと信じ、進もうとする。
周囲は心配するがゆえに反対する。御心に進もうとしているのに、反対され、行き詰まる状況に、焦り、せっぱ詰まり、主の御前に気持ちを打ち明け、祈った。その時に、心の奥を照らされた。余りにも反対されるので、意地になり、どうあってもと、むきになって進もうとしている自分の姿を見せられた。
自我だと気づかされた。悔い改めて、今一度、主にすべてを明け渡した。すると心が全き平安になってしまい、御心のままで良いと心底思えた。主が止められるなら、それもOKと。するとその後、心から語る言葉に、とうとう親族が受け入れてくれて、了承してくれ、志を行うことができたのだった。主が動機もきよめて、導いて下さったことがわかった。
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強い思いがあると、どうしても自分の計画が成功しますようにと祈ってしまう。ゆるがない御心を歩むためには、自分のプランを主に渡せるよう祈ろう。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係