「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」ピリピ4: 7

 

 ある人が職場で、他の人たちの対人関係の問題に巻き込まれてしまい、戸惑いの状況にいた。自分としては、どちらも友人であり、心を痛めていた。しかし彼ら双方で感情的になってしまい、話すほどに理解し合えるのでなく、逆に更に糸がからみもつれて行く現実を経験した。誤解が誤解を呼んでしまう。

 

人間の力では、どうにも出来ない状況を前に、主に、状況や気持ちを告げ、願いを献げ、祈りに祈り、委ねて行った。そんな祈りの中で、つらい胸の内がすう~っと平安になった。自分の思いはあるが、祈って委ねたので、もし自分の思い通りにならなくとも、主の最善をして下さると信じる事ができたゆえだった。

 

その中で、自分に出来る事として、祈って示された事を行った。すると何とそれが用いられて、突破口となり、事態が良い方に向かい、解決へと導かれて行ったのだ。その時に、その取り扱いを通して、「主の平安」を経験させられた。まだ状況は変わらないのに、思い煩いや不安から解き放たれた「主の平安」が心に満ちたのだ。

 

別の人も、ある時、自分ではお手上げ状態の窮地に陥った。自分の力を超えていた。心配と思い煩いで体調も崩すほどだった。今まで自分で何とか出来たのに、行き詰まってしまい、初めて主に拠りすがり、何もかもお委ねした。

 

すると不思議が起きて、あんなに混乱して悶々の心がまるで「使用前、使用後」のように軽くなり落ち着いた。あの重苦しさが消えた。ハンナが祈った後のように、顔つきまで違うと周囲に言われた。主のもとに行き、目の前の問題を主に渡そう。

 

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どうにもできない窮地で、主に祈りに祈り、主に渡してしまうと、不安しかなかった心が、不思議に落ちついて来る。自分の思い通りかも知れないし、又、思い通りでないかも知れないが、主が思われる最善をして下さると思えるからだ。その平安は何にも代えられない。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係