「とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」 マタイ7:11

 

 御父は、私たちの親であるので、子供に最善のものを与えたいと思っておられる。そのため、私たちは「求めなさい」と、願いを求めるように言われている。しかし、神は「自分の子供に良い物を与える」「求める者たちに良い物を」と、「良い物」を与えると言われる。それはすべてが自分の願い通りのもの、自分が祈ったそのものでなく、「良い物」だと。

 

つまり主が、私たちのために良いと思われるものであり、最善のものだ。それは、願ったものその通りかも知れないし、また別のものかも知れない。とにかく主からご覧になる、私たちにとって「良い物」なのだ。祈りが答えられないと、がっかりしているなら、祈りの答えを、今一度見直してみよう。

 

一つ一つの祈りが、別の形で、違う形で答えられているかも知れない。小さな子が母親のように料理をしたいと包丁を求めても、親は与えない。しかしふさわしい年齢になれば持たせるだろう。又、子供が高価な物を欲しがるなら、大きくなってから与える。持つにふさわしい時期がある。又、忍耐、待つ事を学ばせたかったり、その子の益のために教育的配慮から控える場合もある。

 

自分はこれこそが絶対に良い、これこそ必要と思うが、主は完全にふさわしく与えて下さる。主には間違いが無い。主が与えて下さるものは、自分の願いとは異なるかも知れないが、それは「良い物」だ。その時は理解できずとも、必ず豊かな結実を見る。

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主が良い物をくださるから待ち望む希望がもてる。与えられない物にも意味を見出せる。自分にとって有益なものの基準をしっかり知っている事は、なんと自由で幸いだろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係