「私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います」エレミヤ42:6

人々は、実はこの言葉とは裏腹だった。ヨハナンや人々が、エレミヤに、主に祈り、自分たちの歩むべき道となすべき事を伺うように頼んだ。自分たちは、すべてエレミヤに示された通りに、必ず行うからと。良くても悪くても、主の言葉に聞き従うと。エレミヤは人々の申し出を受け、「十日の後」とあり、十日間、十分時間をかけて主に祈った。

 

すると主から答えが来た。エジプトへは行かずに、とどまるようにと。「この国にとどまるなら、あなたがたを建てて、倒さず、植えて、引き抜かない。バビロンの王を恐れるな。こわがるな。わたしはあなたと共にいて、彼の手からあなたがたを救い出すから」と。わたしはあなたがたをあわれむと、主はあわれみを施して下さると。

 

だから、バビロン王のもとにとどまるようにと。あなたがたを建て上げて、植える。決して倒さないと。しかし実は彼らは、すでにエジプトに逃げようとの意志が決まっていた。主の御心は、彼らの思いと正反対だった。自分たちの思いは定まっていて、御心に従うというのは、口先だけの表明だった。

 

早くエジプトに逃れなければとの恐れが、主の時を待てず、御心が示される前に、結論を下してしまう。私たちもどうだろう。聞きたいのは、自分に都合の良い御言葉で、主からの承認を欲しいのだろうか。示された御心を受け入れる事も難しいので、御心を受け入れる事ができるよう、主に祈ろう。主が働かれる。

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強い思い込みや恐れが心に充満していること、自分には確かな方法など決められないことを御前に認めて主に導きを求めよう。心を静めてそれから御心を求めて確かな聖書を開こう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係