「ナボテはアハブに言った『主によって、私には、ありえないことです。私の先祖のゆずりの地をあなたに与えるとは』」Ⅰ列王21:3 

子供の視覚教材で、不機嫌な顔をしたアハブ王が出てくるが、アハブ王は家の隣にあるナボテのぶどう畑が欲しくてたまらなかった。代わりにもっと良い畑を与えるからと譲るよう要求した。しかしナボテは断った。これは正当な事であった。律法に先祖から受け継いだ土地を売ってはならないと定められていた。

 

もし貧しさゆえに、土地を売った場合にも、細かい規程があった。買い戻しの権利のある親族が買い戻さなければならない。神の定めでありナボテは神に従った。するとアハブ王は激怒し、すねて不機嫌になった。「寝台に横になり、顔をそむけて、食事もしようとしなかった」。自分の要求が通らず、思い通りにならないので、ふてくされる、わがまま病だ。

 

アハブは自分が正しくないことはわかっていても、要求が通らないと腹を立て、どこまでも欲望を通そうとする。人は、間違いを認めない時、更に罪に進み、罪に罪を重ねて行ってしまう。結局、妻のイゼベルが画策する事により、ナボテを殺害してしまった。私たちは、自らの間違いを認めるなら、更に罪を重ねる事から守られる。又、思い通りにならない時は、そこに門を閉じておられる主を認め、御心を受け止めよう。受け入れる事を学ぼう。主は別の道を備えていて下さる。自分の欲望でなく、主の御心を第一にして行く時、肉の満足でなく、真の満足と、快楽でなく御霊の喜びを経験する。

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願っても受けられないのは間違った動機ではないか。願いは祈りにあげて主に介在してもらおう。手に入らなければ罪へと進んでいくのを肉は止められない。主に委ねよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係