「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」ガラテヤ6:8

「思い違いをしてはいけません」とあり、私たちは思い違いをしてしまうが、人は蒔いたものを、刈り取ると言っている。これは法則であって、例外は無い。朝顔の種を蒔いて、スミレの花が咲く事は無い。朝顔の種は朝顔の花だ。蒔く種は正しくその花が咲く。霊的な原則も同様だ。例外は無い。

 

しかし、「時期が来て、刈り取る」とあり、すぐにその場で結果が出るのではない。だから思い違いをしてしまう。悪い種を蒔いても、すぐに悪い結果が出ないので、どうって事ないと、たかをくくり、主を侮ってしまう。私たちは日々の生活で、絶えず、御霊か、肉のどちらかに蒔いている。御霊に従って生きるか、肉の欲に従い、自分の思い通りに生きるか、どちらかをしている。

 

人へ愛と親切の種を蒔けば、喜びと主からの報いを刈り取り、自分にも愛が返る。祈りの種を蒔けば、祈りの答えを刈り取り、宣教の種を蒔けば、魂の救いを刈り取る。献金の種を蒔けば、豊かな物質的祝福を刈り取る。又、肉に従い、悪意と憎しみの種を蒔けば、そのように刈り取る。「善を行うのに飽いてはいけない」「失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになる」と。

 

善を幾ら行っても目に見えるところ、結果が無いように見えて、時に、うみ疲れるかもしれない。宣教の種は特にそうかも知れない。かし神の時が来た時に、必ず刈り取る。だから失望せずに、蒔き続けるようにと言われている。祈りの種も蒔き続けよう。

 

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蒔いたものを刈り取る。これは法則なので例外が無い。「時期が来て」を信じていよう。地道な祈りを積む事、結果がすぐに見えずとも宣教を続ける事、示された御心を行う事、すぐその場でなくとも、必ず収穫を刈り取る。肉でなく御霊に従えるよう祈っていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係