「私は心に悩みのある女でございます・・私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです・・つのる憂いといらだちのため今まで祈っていたのです」Ⅰサムエル1:15

ハンナは子供がどんなにか欲しかったが、子供が無かった。そこにもう一人の妻、ペニンナは子供があったが、夫がハンナの方を愛している事を妬み、ハンナにつらく当たっていた。ハンナは、ペニンナによるいじめ、周囲の無理解と好奇の目、夫にも苦しみをわかってもらえないつらさ辛さ、孤独、寂しさ・・苦しい状況にいた。

 

余りにつらく、ハンナは泣いて食事も出来なかった。「食事が終わり、ハンナは立ち上がった・・彼女は主に祈って、激しく泣いた」。苦しみは極みに達し、ハンナは祈ろうと、主に持って行こうと、立ち上がった。心の底から主に叫んだ。痛みと苦しみ、つらさを何もかもを吐き出し、感情もぶつけ、激しく泣いた。御前で心の底の悲しみ、怒り、嘆き、恨み、何もかもを吐き出し、祈った。

 

男の子が与えられたら、主に献げると、何もかもを明け渡した。祭司からあなたの願いが叶えられるようにとの言葉をもらい、ハンナはすっきりし、晴れやかになった。喉も通らなかったのに、帰って食事が出来た。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。心はすっかり落ち着き、平安になった。

 

ある人は試練に次ぐ試練で、許容量オーバーになりそうで、気がおかしくなりそうな時に、ノートに、主に向かい、思いも感情も、気持ちの何もかもを書いて書いて書き連ねた。何もかもを吐き出した時、すっきりした。そして平安になった。主に、問題も気持ちも感情も何もかもを持って行こう。

 

主は愛し、すべてを受け止め、心を平安へと導いて下さる。私たちも、いたずらに思い煩っているのでなく「ハンナの祈り」をもって御前に行こう。

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つらいと言える主が傍におられる事はなんと幸せだろう。祈るために立ち上がったハンナのようにいつでも主の前に行ける。包み隠せない本音も、言葉に出来ないうめも主は掬い取ってくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係