「わたしは、あなたがたのため、すなわちあなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます」ヨハネ11:15

マルタは、主のもとに使いを送り、ラザロが「病気です」と伝えた。ラザロは危篤状態であり、マルタは、伝えさえすれば、主がすぐに駆けつけて下さると思っていた。しかし主は、「この病気は・・神の栄光のためのもの」と言われ、全く動かれなかった。なお2日とどまり、ラザロの死を確認してから、つまり死後に出かけられた。

 

迎えたマルタは「もしここにいて下さったら、死ななかった」と。マルタは将来のよみがえりは理解しているが、今、主がラザロをよみがえらせると信じていなかった。病気を治すことは信じられるが、よみがえるとは信じることができない。マリヤも同じ言葉を言った。すべてを断ち切る「死」の前には、絶望であり、泣くしかなかった。

 

しかし「あなたの兄弟はよみがえる」と言われた主は、ラザロの墓の前で「石を取りのけよ」と。4日経ち、腐敗していると言ったマルタだが、主の言葉に従い、墓の石を取り除けた。信仰が行いとなった。すると奇跡が起きてラザロはよみがえった。ラザロを通して「わたしは、よみがえりです。いのちです」と、主ご自身が死に勝利されていることを表された。

 

そのためには病気の回復でなく、死でなくてはならなかった。「神の栄光のため」であり「神の子が栄光を受けるため」であり、「あなたがたが信じるために」であった。あなたが今、行き詰まり、絶望状態なら、主はその絶望を打ち破られ、すでに勝利されている。「あなたが信じるために」主は信仰に進ませようとしておられる。

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この病気は死で終わるだけものではないとの主の語りかけを聞こう。復活の主が共におられる。その目的は神の栄光の現れのためにある。信じていこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係