「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい」マルコ5:34

12年もの間、長血を患った女性がいた。長血は、律法によって不浄とされ、礼拝へ出ることもできなかった。肉体的、精神的、社会的苦しみの上に、更に経済的にも次々と医者にかかり破綻状態だった。先に何の希望も持てない、真っ暗な中にいた。どんなにつらく苦しい絶望状況だったろう。主に癒やしを求め、主の着物にでも触れる事ができればと思った。

 

それは切なる思いであり信仰だった。なぜなら不浄のため、他人には触れる事ができなかった。だのに主に触れようとした、諦めない、屈しない信仰であった。主の癒やしを信じなければ、まずリスクを冒して触りなどしない。しかし主の着物に触れ、ひどい痛みが消え、病気が治った彼女は、誰にも知られたくなくて、密かに立ち去ろうとした。

 

しかし主は、「わたしにさわったのは誰か」と捜され、これは隠しおおせないと悟った彼女は、進み出て、皆の前で、事の次第を話した。人の後ろに隠れ、人混みに紛れ込み、おどおどしていた彼女が主の御前に、皆の前に出て、余すところなく打ち明けたのだ。どんなに勇気が要った事だろう。主は、彼女の口からはっきりした信仰告白を引き出そうとされた。

 

なぜなら彼女には信仰があったからだ。主は、彼女を光の中に出し、信仰を告白させ、その信仰を確かなものとされた。「あなたの信仰があなたを直した」「安心して行きなさい」と。どんなに安堵に満たされた事だろう。私たちはどうだろう。群衆に紛れて隠れているだろうか。主はいつも向き合っていて下さる。私たちも、主の御前に出ることを求められているだろうか。

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悩みや思い煩いの中から主に手を伸ばそう。病があり悩みがあることを主は知っていてくださる。必死に伸ばす手を主は離されない。私の前に出なさいと声をかけてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係