「門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます」ヨハネ10:3

私たちは、日々、朝起きてから夜寝るまで、何らかの声を聞いて生活している。いつもまずどれかの声を聞いて、その声に動かされて、行動している。声に影響されている。それは、自分の内から湧き上がる声だったり、人の声だったり、テレビやラジオ、新聞からのだったりする。その声は、怒り、妬み、憎しみ、泥酔、ギャンブル・・スレートな罪の思いやネガティブな声ならすぐわかるが、もっともらしい声だったりする。

 

「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である」。人の目にまっすぐに見えるから見分けにくい。良い事、正しい事と思い、欺かれてしまう。仕事は御心であり、良い事だ。又、趣味も人生に楽しみと喜びを与えてくれる。しかし、いつしかそれら良いものに心を奪われ、度を越えてのめり込んでしまい、神から離れた人も少なくない。

 

又、人からの攻撃、非難中傷に、こちらも反撃したくなる。肉の声を聞くと報復が正当に思えてしまう。人に聞いてもそう答えるかも知れない。しかし私たちが聞くべき声は、主の御声だ。サタンは肉の声を、これでもかこれでもかと、焚きつけて来る。主の言葉に立たなければ、そちらに従ってしまいそうだ。

 

しかし「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするため」。それは私たちを反対方向へ進ませ、神から離してしまう声だ。批判の指摘が当たっていれば、悔い改めれば良いし、当たっていなければ聞き流せば良い。様々な声が混線している事を覚え、御声を聞き分け従えるよう絶えず祈ろう。

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自分の内から湧いてくる叱咤激励の声に自分自身が疲れてしまうこともある。誰がそう言っているのかと聖書を開き、主の声に耳を傾けて安心する。折々に祈り、真実な主の御言葉を聞きたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係