「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」詩編6:8

ダビデは、理不尽にもずっとサウル王から攻撃を受けた。それは命をも狙われる攻撃だった。サウルの命を救い、良い忠実な部下であり、何一つサウルに悪い事をしていない。むしろ王にとっては戦いに長けた素晴らしい部下だった。それが連戦連勝のダビデに対する女たちの賞賛、人気に、サウルが激しく嫉妬したゆえであった。

 

ダビデは、常に死と隣り合わせの状態だった。いつ殺されるかも知れないなどと、どんなに恐怖と不安、苦しい状況だろう。更にサウル王だけでなく、実子のアブシャロムからも敵対され、攻撃される。その上病気にもなり、もうボロボロで、極度に弱り果て、ダビデは泣くしかなかった。

 

「嘆きで疲れ果て、涙で夜ごとに寝床を漂わせ」と、なすすべなく泣いて泣いて嘆いた。ダビデは信仰者であり、神の心に適った者と言われている。信仰すれば、悩みが無くなるのではない。主は、私たちの信仰を試され、鍛えられる。苦しみの時に、どうしても切実に願う事は、目の前の状況が変わる事だ。

 

問題が無くなって欲しい、ただただ悩みが去って欲しい。しかし苦しみの時こそが、神が神であられる事を身をもって知る時だ。ダビデは嘆きをそのまま主に持って行った。私たちも、そのまま心にあるものを主に持って行ける。ありのままを受け止め、心の内を聞いて下さる。

 

そして言葉にならない、心の内を理解して下さる。その叫びや恐れの、その奥にあるものをもわかっていて下さる。主は一番の理解者だ。主は泣く声を聞かれ、私たち自身を受け入れて下さる。主のもとにに持って行こう。

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主は私を愛し、私の悩みに心を用いてくださる。それを知っているから祈る事ができる。出来ないから祈り、失敗しては祈り、弱音をことごとく主の元に持っていき祈れる。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係