「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます」ヨハネ16:13

ある女性の証しだ。小さい時から頑張り、親に言われるまま塾にも通い、優等生で過ごして来た。周囲からも褒められ、自分でも、成績は良く、何ごとにも真面目な良い子だと思っていた。ある時、友人に誘われ教会に行った。ところが「罪」ということが、一向にわからなかった。

 

自分は良い子であり、周囲にもそう言われ、自分自身も真面目に生活して来たつもりだ。非行になど走った事はない。しかしある時、放蕩息子の学びだった。その時に、その放蕩息子ではなく、兄息子が、自分と同じで、自分に重なることに愕然とした。

 

家出して行方不明の弟を心配もせず、軽蔑し、見下し、そして帰って来た弟を受け入れる父親に不満を爆発させる。誰にも見せない自分の姿だった。いい顔をしつつ、実は出来ない子を見下していた。自分は正しく、良い人間であり、心の中では不良たちを冷ややかに裁いていた。そして心の中は、常に満たされてはおらず、怒りや不平不満でいっぱいだった。

 

突然、御霊の光によって自分の姿があらわにされた。初めて罪がわかった瞬間だった。心底自分は罪人であった。頭で聞いていた主の十字架が、まさに自分のためであると迫り、心からの悔い改めが与えられた。御霊が働かれ、罪につき、義につき、そして十字架の意味をわかるように教えて下さった。御霊の光が、自分も知らない自分の姿を照らし出し、真理に導いてくれる。

 

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御霊は光であり、光は、自分もわからない、気づいていない、心の闇を照らし出してくれる。主の十字架を新たに知り、罪はことごとく赦される。何という恵みだろう。自分自身が新たにされて行く。「すべての真理に導き入れる」との真実な約束は何と感謝な事だろう。、

 

   発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係