「『帰って行きなさい。あなたの息子は直っています』その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた」ヨハネ4:50

王室の役人が、カペナウムから主のもとに来た。王の宮廷官吏で、地位も財もあった。しかし、それらをもってしても、どうにも出来ない事態が生じた。息子が病気で死にかけていた。どんな高名な医者も治せなかった。絶体絶命の中、主の噂を耳にし、この方ならと最後の望みを託して、30キロの道のりを必死の思いでやって来た。

 

どうか来て、息子を癒やして下さるようにと願うと、主は「イエス」とも「ノー」とも答えられず、「あなたがたは、しるしと不思議を見ない限り、決して信じない」と言われた。「あなたがたは」であり、彼とガリラヤの人々が、主を歓迎しているのは、様々な奇跡を見たゆえだと。

 

「イエスがなさったすべての事を見ていたからである」。それなら逆に奇跡を見なければ、すぐに主から離れてしまう。それは、御言葉を聞いて信じる信仰でなく、見て信じる信仰だと。しかし彼は、なおも必死で「主よ、来て下さい」と息子の癒やしを求めた。主は「帰りなさい。息子は直っている」と言葉を与えられた。

 

すると、彼は、ただ主の言葉だけをもらい帰途についた。主の言葉を信じた。彼は、主に、実際に来て頂かなければと思っていた。しかし主は言葉を与えられた。「不思議を見て」でなく、「御言葉を聞いて」信じる信仰へと導かれた。

 

彼は御言葉を信じて、帰って行くと、途中でしもべが、息子が直った事を告げた。それが御言葉を聞いた「同時刻」である事を知り、彼も彼の家族も、皆、信じた。見ないで、信じる本当の信仰へと導かれた。

 

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信仰は聞くことから始まり、キリストについての御言葉による、とある。せっぱ詰まった役人に、主が御言葉を与えて下さったように、私たちの問題にも、求めに答えて言葉を与えて下さる。一心に御言葉に耳を傾けよう。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係