「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです」 Ⅰペテロ2:19 

 

ある人が職場で、つらい状況にあった。先輩が、どうも自分が気に入らないようで、挨拶をしても、返してもらえなかった。無視されているようで、しんどい状態だった。自分の何が悪かったのかと考えるのだが、思い当たらない。相手がしていた仕事を、上司が自分に回し任せたのが、気に入らなかったのだろうか。

 

だが自分はクリスチャン、こちらは無視されても挨拶をし続けた。隣の自分の同僚には親しく話しかけ、自分はスルーされ、怒りが湧きそうになるが、祈りに祈り、御言葉に励まされながら、何とか守られ接することができた。つらい中、この事を続けて祈っていた。ある時、相手の仕事の締め切りが迫り、どうにもならない中、一緒に遅くまで残業して手伝った。「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい」との御言葉が示されていたからだ。どうにもならなかったその仕事はうまく行き、大変感謝された。相手は良心のかしゃくを感じているようだった。入社から自分に仕事を教えてくれたのが、その相手であり、自分もその事を感謝した。その時、何かが変わり、その後、良い関係となった。

 

祈りの答えだった。主が祈りに答えて下さった。問題が起きた時、自分で動き回らず、とにかくまず祈ろう。祈りを積み、そして次に耳を澄ましていよう。御霊はなすべき事を示される。その時示しに従おう。従わないならそのままだが、従う時にみわざを見て行く。

------------

感情では不当な苦しみをこらえる事などできない。主に助けられなければ、結果を思い煩うばかりだ。全てを知っておられる主に結果を委ねられるよう、主の喜ばれる方へ向かえるよう助けを祈ろう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係