「夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていた・・」 ヨハネ13:2 

 悪魔が、ユダの心に、主を裏切る思いを入れたとある。ユダが自分で思ったのでなく、悪魔が入れた思いなのだと。悪魔のささやきを、心に受け入れ、同意してしまった。悪魔の声を拒否する事ができるし、同意する事もできる。私たちにも、しょっ中、思いに、悪魔からの火矢が飛んで来る。拒めばよいのだが、それを受け入れ、同意してしまう。

 

それを心に温めると、罪に進んで行ってしまう。「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑される」とあり、欲のある所に、悪魔の誘惑の手が伸びる。そこに必ず自身の肉の欲望がある。欲が無ければ、誘惑にならないからだ。その悪魔の吹き込む思いに同意して、受け入れてしまうと「欲がはらむと罪を生み」と、その思いを心の中で妊娠させてしまう。熟成させてしまう。

 

すると実際に罪を犯してしまう。ダビデも、部下は命がけで戦っている中、夕刻に起き出すという怠惰な生活をしていた最中に、身体を洗っているバテシバを見た。その誘惑を拒否する事が出来たが、呼び寄せてしまい、姦淫の罪を犯した。

 

人は弱く、誘惑に負けてしまう。だからこそ、主は祈りを与えて下さっている。「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい」と。主との交わりの生活の中にいる時に、守られる。祈りは力だ。ダビデは、バテシバを見た時に、祈れば良かった。私たちも誘惑が来た時に、主の助けを求めて、即、祈ろう。主は弱い私たちを助けて下さる。

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自分は誘惑に弱い、負けてしまう。だからいつでも主に助けを求める姿勢でいたい。悪魔の声と会話していく時に気づけるよう、御言葉に照らし拒否できるよう祈っていよう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係