「しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った」ヨナ1:3

魚にのみこまれたヨナの箇所だ。ヨナは、敵地であるニネベへ行けとの、主の命令がどうしても気に入らなかった。そこで「主の御顔避けて」、船場に行くと、丁度そこに、ニネベとは反対のタルシシュきの船があった。渡りに船で、反対行きの船に乗り、主からの示しであるニネベ宣教を拒否した。

 

すると嵐になり、ヨナは、嵐は不従順な自分のせいなので、自分を海に投げ込むようにと言った。その投げ込まれた海中に、主は、大魚を備え、ヨナを飲み込ませ、守られた。その中でヨナは主に向かって祈った。魚の腹から出された後、今度は、素直にニネベに行った。するとニネベの人々は、ヨナの言葉で悔い改めたので、主は災いを思い直された。

 

それが又、ヨナには納得が行かず、受け入れられない。町を出て小屋を作り、その陰に座った。どうなるか見てやろうとの態度だ。主はとうごまで日陰を作られ、ヨナは喜んだ。だが翌日、虫でとうごまは枯れた。焼け付くような太陽が照りつけ、ヨナは衰え果て「死んだ方がまし」と死を願うほどだった。苦い思いから、とうごまで機嫌が良くなったかと思うと、又、ぐったり衰え、死にたいと願う。

 

自分の姿だろうか。些細な事で一喜一憂し、信仰がアップダウンし、グラグラ揺れる。うまく行けば大喜びし、少し行き詰まればひどく落胆し、外的状況にころころ振り回される。外側の状況に反応するのでなく、内側に確かな信仰、喜び、確信を持つ事が大切と教えられる。主はヨナを大きな深い愛で愛しておられる。

 

ヨナが御心をそれても、決して見捨てず、見放さず、尚も導かれ、その愛は不変だ。この同じ愛で、すぐ御心をそれてしまう私たちも愛されている。弱さをご存じでいて下さる。この主のもとに、弱いままいつも帰れるとは、何という安堵だろう。

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自分がどうであれ、神のご愛、恵みはいつも豊に注がれている事実に今朝も感謝できる。どんな不信仰の中からも弱さのまま祈れる。神からのとうごまの備えに幾度も心は慰められ満たされて来た。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係