「兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって・・」Ⅰヨハネ2:10

光の中にとどまる人は、決してつまずく事がないと言っている。光があるから見えるので、つまずかないで歩んで行く事ができる。つまり、光により、罪がわかり、悔い改めることができるからだ。罪を犯さない人はいない。罪を犯してしまうのだが、その罪を示され、教えられて、悔い改めて、赦されて、歩んで行ける。赦しがあるから、常に主の光の中を歩める。

 

人がつまずくのは、光の中にとどまらず、闇の中にいるからだと言っている。闇の中では、真っ暗で何も見えないので、歩くとつまずいてしまう。「光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいる」やみの中にいるしるしは、兄弟への憎しみだと。御言葉を真実とし、憎しみがあるなら、自分がやみの中にいると認める時に、すでに光の中だ。

 

御言葉に従っているからだ。又、兄弟を愛して行くなら、やみの中にはおらず、光の中で歩んで行けると。愛せない事を認め、愛せるよう主に拠り頼むなら、光の中だ。心が重苦しいのは、相手のせいだと思う。嫌な相手のために憂鬱で、落ち込んでいると。この状況さえ変われば、平安になるのにと。

 

しかしそれは原因ではなく、平安が無いのは、自分と主との関係の問題だ。憎しみは、主との関係をシャットダウンしてしまう。まず主のもとへ行き、祈ろう。自分ではどうにも出来ない。しかし主は弱さをわかり、助けて下さる。人に出来ないことが主にはできる。平安へと導いて下さる。

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相手はどうであれ、自分に憎しみという罪があると気づけたら闇から光の中だ。主は闇から救い出してくださる。御言葉のひかりに照らされて、つまずかず御心の中を歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係