「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい」エペソ5:20

ある人が、重要な仕事が壁にぶち当たり、行き詰まってしまった。どうしてよいかもわからず、すべも無く、心は重苦しく、沈んでいた。しかし「何で? どうしてこうなる?」主は、祈りに答えて下さるのではないのか。その日、余りの重圧に牧師を訪ね、牧師に話し祈ってもらう中で、「八方ふさがりで、どうにもならない。祈る気になれない。心が重い」と言った。

 

すると牧師が「こんな賛美があるよ。“望みも消えゆくまでに、世の嵐に悩む時、数えてみよ、主の恵み、なが心は安きをえん”と。恵みを数えてみない?」と。全くそんな気分でない。気持ちも乗らない。が、牧師に言われ、促されるまま、一つ一つと思いつくままに数えた。今、健康なので感謝します。空気も、水も、住まい、食物も与えられていて感謝です。救われている事に感謝です。

 

主の十字架に感謝します。家族、友人がいる事に感謝、仕事も感謝です・・一つ一つを最初は気持ちも全く伴わず、機械的にだが、感謝して行った時に不思議が起きた。不満、愚痴で一杯で、うっとうしく、沈み込み、暗かった心が、何だか知らないが少しずつ軽くなって行ったのだ。不思議だった。

 

頭をどんよりおおっていた、雲霧が晴れて行くような感じだった。与えられているものが、当然としか思っておらず、当たり前なので、感謝も、感動も何も無い事に気づかされた。何より、見える所に目が奪われていて、主に、目が行っていなかった。すべての事は当然で無く、主の恵みによる事だと見せられ、主に焦点が合うと、不思議に「大丈夫だ」と思えた。

 

主は、愛し、慈しんでいて下さる。ご計画があり、良くして下さる。そこに焦点が合って行くと、心が平安に変えられた。自分視点だったのが、感謝して行く時、神視点に変わる。すると心が変えられる。一歩従うことは、大きな祝福へと繋がる。

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問題が解決したら感謝できるのにと思ってしまうが、いつでも、すべてのことについてだ。感謝を数えていこう。すでに身に余る程の恵みが手の中にあることに主は気づかせてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係