「わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたの教えは私の心のうちにあります」詩編40:8

イサクとリベカに双子が生まれたが、生まれる前に「兄が弟に仕える」との御心が示されていた。だが、父イサクはエサウを偏愛し、母リベカはヤコブを溺愛した。ヤコブは策略により、エサウから長子の権利をだまし奪う。しかしエサウもまた一杯のレンズ豆と交換して「長子の権利を軽蔑した」。

 

エサウは、二人のヘテ人の妻を持ち、両親の悩みの種だった。霊的な事柄に関心が向いていなかった。又、親たちも主の御心を無視しイサクは、偏愛するエサウの方を祝福しようとする。するとリベカは夫と長男を欺いてまでも、弟ヤコブが祝福を受けるようにと画策する。

 

この祝福は、変更不可能なものであり、だまされたと知ったエサウは激怒の余り、弟を殺そうする。罪とは「的はずれ」だ。家族皆が的をはずして行った。ヤコブは身の危険に、家を出る事になる。家庭崩壊だ。夫婦・親子・兄弟の関係が、的をはずし、今で言う機能不全家族だ。ヤコブの家庭も、二人の妻、レアとラケルが激しく嫉妬し合った。

 

母から溺愛されたヤコブは、息子の内のヨセフを溺愛した。その結果、兄たちはヨセフを激しく妬み、弟を異国へ売り飛ばした。しかし主はこれらすべての中で、驚くべき主権を持って彼らを導かれる。着実に主の約束が成し遂げられて行く。「地上のすべての民族はあなたとあなたの子孫によって祝福される」との誓いを果たされる。

 

ヨセフがエジプトで宰相になり、飢饉の中一族を救う。自分の肉で動く時、的をはずして行くが、主に従い、御心に従う時に、主の栄光が現されて行く。肉は思い通りに歩もうとする。しかし、今、目の前の事に、主のお心の方に従って行けるよう、祈ろう。

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自分の都合を通しては迷い悩む姿にはっとさせられる。同時に聖書を通して人の生活が神によって動かされていくさまも見せられる。確かに導かれる神に、思いを明け渡し従って行けるよう祈ろう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係