「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て」使徒7:55

ステパノは、12使徒を助けるために選ばれた人だった。信仰と聖霊に満たされていた彼は、不思議なわざとしるしを行っていた。それが気に入らない律法学者たちは、議論するが、彼が「知恵と御霊によって語っていた」ので、対抗できなかった。そこで画策し、人に偽証させて、神を冒涜したとの罪で議会に引き出した。

 

そこでステパノはイスラエルの歴史を語る。民は事あるごとに偶像礼拝に陥り、主は預言者を送り、立ち返らせようとするが、それも拒み、とうとう最後にはキリストを殺してしまったと。すると人々は、激しい怒りに燃えた。だが、「聖霊に満たされていた」ステパノは人々の石打ちに「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」との言葉を発し、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫び、息絶えた。

 

それは主の十字架上の言葉だった。「主よ彼らをお赦しください」と。ステパノは、なぜ自分を殺す人々を赦す事ができたのか。まず、彼は「聖霊に満たされていた」とあり、主に従おうと、自分を全く明け渡していた人だった。自分の生涯に、主の栄光が現される事だけを求めていた。だからこそ聖霊に満たされていた。そして、彼は主だけを、一心に見つめていた。

 

「天が開けて・・人の子が・・見えます」ただただ主だけを見ていた。私たちはどうだろう。赦せない相手だけを、一心に見続けていないだろうか。ますます赦せなくなる。聖霊に導かれること、主を見つめ続けることを、覚えよう。自分では出来ないので、主に助けを求めて、祈ろう。求めに必ず答えて下さる。

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目の前の人が心にいる限り、絶えず動揺して心は休まらない。主に心を注ぎだして祈ろう。御霊によって共におられる主が見える。主に信頼し、全てをお任せしよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係