「そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって」Ⅱ列王5:17

将軍ナアマンは、らい病を患っていた。イスラエルの捕虜の娘が、らい病を癒す事のできる預言者がいると伝えた。そこでナアマンは、癒やしを求めてエリシャを訪れた。だが、エリシャは会いにも出て来ず、使いの者に伝言を託した。その扱いに、将軍ナアマンはプライドをひどく傷つけられた。

 

そして、それは手を置いての厳かな儀式ではなく、ヨルダン川で七回身を洗えと。とても受け入れられるものでなく、怒りに燃えた。神は、このナアマンの高いプライドをご存じで、エリシャを通して砕こうとされた。自分は主君から非常に重んじられる将軍であり、名誉も地位も財もあり、部下からの尊敬も受けている。

 

エリシャからの扱いにズタズタに傷つき、怒り、帰ろうとする。しかし、しもべの進言により、思いとどまった。プライドを捨て、エリシャの言う通りに、ヨルダン川に7回身を浸した。すると、何とらい病がきれいに癒やされた。奇跡が起きて、身体は元通りになった。

 

人のプライドは、神の恵みと決して相容れない。神はナアマンに、真の救いを与えるために、そのところをあえて通された。彼のプライドが取り扱われる必要があった。難しい事をせよと言われたなら、まだしもプライドが保てた。しかし余りにも簡単で、人の目にさらされる奇異な状況に、とても耐えられない。しかしナアマンは従った。

 

あなたも今、問題はプライドだろうか。又、自分の思いが強くて、御心が受け入れられないだろうか。それを捨てて従う時、大きな祝福が待ち構えている。今、主が取り扱っておられるだろうか。自分のありのままを主に告げて、祈ろう。主は必ず導いて下さる。

 

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信仰人生で、様々主の取り扱いがある。起こる出来事を通してプライドに気づかせられる。自分に死ぬことが、御心であることがわかるが、自分では出来ない。そのため祈りが備えられている。祈って行く時、御霊により恵みによって、明け渡して行けるようにされる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係