「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:4

私たちの中には、良い人に見られたい、人に嫌われたくないという根深い思いがある。それは固く培われた価値観だ。主に会う前は、それを求めて生きて来た。人前を繕って、良い人の演技をしてしまう。ぜ演技するのだろう。本当の自分を出せば、人に嫌われる、人は離れて行くと思ってしまう。御言葉によると、私たちの心の奥底は、誰しも愛されたいと思っている。

 

「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」の通り、人の愛を求めている。エデンの園で、アダムとエバは罪を犯した結果、霊的に死に、神から離れてしまった。神との愛の交わりが断たれてしまったために、目に見える人の愛を求めるようになった。新生したクリスチャンもまた、根深い肉の性質があるため、目に見える人に、愛されたいとの思いが強く、人前を繕ってしまう。

 

主は、私たちを愛し、あるがまま、丸ごと受け入れて下さっている。しかしながら主ではなく、この世を求め、自分の力を誇り、自分の思うように生きてしまう。だが、主の愛は、何もかもすべてご存じの上での愛だ。この愛を信じて行こうとしない時、主との間に距離を作り、主の前ですら本当の自分を隠して、繕ってしまう。

 

アダムのように、主を避けて、隠れる事になる。十字架の血潮によってではなく、自分の力で少しはましになって御前に出ようとしてしまう。主がアダムに「あなたはどこにいるのか」と問われたが、私はどこにいるだろうか。「わたしはあなたを愛している」と真実を持って、命をかけて語って下さっている。

 

問題は、心の奥では、この愛を信じられない事だろうか。もしそうなら、そこのところを、祈りに持って行こう。祈りに答え、豊かに祝福し導いて下さる。

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人は取り繕えば愛してくれるが、ありのままならどうだろう。神はこの罪深さもご存っじで、見捨てずに赦された。赦された上で愛してくださっている。及びもつかない神の愛の深さを知っていこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係