「イエスは・・道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、『わたしについて来なさい。』と言われた」マタイ9:9

マタイは取税人であった。当時、ローマに代わり税金徴収をしていたのが、ユダヤ人の取税人だった。つまり同胞から不当に取り立て、私腹を肥やしていた。ローマの手先、裏切り者と嫌われ、蔑視されていた。罪を犯していて、平安無く、自己嫌悪にも陥っていただろう。財は築いたが、喜び無く、幸せではなかった。

 

そういう状況もわかっていたが、それでも富を求めて取税人になったのだろうか。人から後ろ指を指され、拒絶され、心に闇を抱え、寂しさと虚しさ、孤独の中にいたろう。生きる意味も見いだせなかっただろうか。そんな時に、主は、心の内の何もかもをご存じで、マタイをご覧になって、「わたしについて来なさい」と声をかけられた。

 

彼は立ち上がって、従った。主がそんなマタイを選ばれていた。彼は主の招きに、即座に応じている。迷いが無い。重大な決意だが、聖い方が自分のような者を招かれた事にどんなに驚き、嬉しかった事だろう。その彼は生涯、主に従い通して、マタイの福音書を記す栄誉にあずかった。彼は自分の事を「取税人マタイ」と言い、はっきりと「取税人」だと言っている。

 

どんな所から救われたかを隠さず明言した。闇から光に入れられた、の驚くべき恵みを、主の愛の深さを味わい知った。私たちも主がご覧になって」呼んで下さったから、今がある。どんな所から救われたのか、救われていなかったなら、どうなっていたのか、今一度、感謝を献げたい。

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ただ主について来ただけで何と幸いな日々が与えられたのだろう。試練の中も主に助けを求め、励まされて歩める。主の声を聴くために主はそれぞれを闇の中に一人で置かれた。日々感謝して歩もう。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係