「この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰がるのを見て、大声で、『自分の足で、まっすぐに立ちなさい』と言った」使徒14:9

ルステラで、パウロが御言葉を語っていた。その時に、生まれつき足のきかない男性が、丁度座っていて、パウロの語る御言葉にじっと耳を傾けていた。彼は生まれた時から一度も歩く事ができず、自分の足に関して、何もどうする事もできなかった。完全無力の状態だった。

 

自分で何もする事ができない。だからこそ、「自分の足で、まっす立ちなさい」とのパウロの言葉にすがりついた。自力で出来な

いからこそ、すがる事ができた。彼にはこの言葉しかなかった。唯一の望みであり、信じて賭けた。この言葉がすべてだった。無力だからこそ、そうできた。自分で立てたなら、頼る必要が無い。

 

その信仰に神の力が働き、奇跡が起きた。一度も歩いた事のない彼が、飛び上がり歩き出した。もし自分で何かが出来るなら、自分で何とかしただろう。私たちは、自分で出来てしまうので、主に頼らない。自分で生きて行ってしまう。自らの無力を知る時こそが、信じる祝福の時だ。何の方策も無く、何もどうにも出来ない。信じるしか道がない。その時に信仰が働く。

 

自分の力、方法に頼っている限り、自分を信頼している限り、主への信仰は難しい。信仰半分、自力半分というのはあり得ない。幾ら御言葉があっても、必ず自分の力、方法でやって行く。信仰とは、御言葉だけを頼りに、自分を任せて行く事だ。それゆえ、自らの無力を知る事が、実は大きな祝福であり、幸いだ。無力に落ち込む事は無い。

 

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失敗を通して学べる事が感謝だ。祈らないで行動し、失敗したり、主に頼らず、自分の思いと自分の力でした事で失敗したり。失敗によって、主を離れては、何も出来ない事を教えられる事が祝福だ。自分の思いや力に、気づかせられる事が感謝だ。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係