「ダビデはその日、すぐにサウルからのがれ、ガテの王アキシュのところへ行った」Ⅰサムエル21:10

祈らずに失敗した事があるだろうか。ダビデも、ある時、祈らずに失敗した。ずっとサウルに命をつけ狙われ、逃げ回る、死と隣り合わせの日々だった。サウルの執拗な追跡に、窮地に陥り、事もあろうに敵地に逃げ込む決心をする。しかし祈らずに動いた。そのため失敗した。アキシュのもとに身を寄せるが、イスラエルと戦うはめになってしまった。

 

結果的に主により守られるが、祈らずに行動し大失態を招いた。バテシバの誘惑が来た時も、そこで主を見上げ祈れば良かった。主に助けを求めていれば、違ったろう。祈りは大切だ。祈りにより、あらゆる面で守られる。ある婦人が、家計の必要のため、パートの仕事を祈り求めていた。面接で、フルタイムはどうかと打診された。

 

断ろうと思ったが、まず夫に相談すると、家の事は協力するし、応援するとの事。環境は開かれたが、仕事内容に全くの自信が無い。御心を求めて祈りに祈った。その時、この仕事が、職を求めて祈りを積んだ、祈りの答えである事がわかった。確信を与えられ、主に委ねて働く決心をした。仕事に就いたものの、自信なく、主に頼って祈りに祈り、主にすがり祈る日々だった。

 

泣きながら祈り続け、日々主にすがりついた。祈りにより仕事をして行った。すると驚くほどの成果が与えられ、周囲もびっくりするほど、次々と結果を出して行った。自分ではなく、祈りの答えであり、主の力だった。ただただ主によるものであり、周囲も祈りの力を、主の栄光を見せられた。

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苦しい時は必死で祈るから御言葉の語りかけや、御霊の導きに敏感になれ、また思いがけない方向へ環境が開かれることも導きと悟れる。順境にも感謝をささげ、主に祈りつつ歩もう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係