「ギデオンは・・言った『ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか』」士師6:13

士師記はイスラエルが神から離れては、立ち返る、その繰り返しが描かれている。民は堕落し、偶像礼拝に陥る。すると必ず外敵が襲って来る。主は民を、その外敵の手に渡される。それで民が非常な苦しみの中から、主に叫び求めると、導き手を起こし、民を救われる。何度も何度も、この同じ事の繰り返しの物語だ。ギデオンの箇所でも、民はミデヤン人に襲われ、非常に悩まされ苦しめられた。

 

「今、主は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡された」と言っている。外敵の脅威に、「なぜ、こんな事が起きているのか」とギデオンも主に問うた。紅海を分けて、偉大な奇跡をされた主ではないのかと。なぜ自分たちにはして下さらないのか。しかし主が民を捨てたのでなく、民が主を捨てて、偶像に走ってしまうのが実態だ。

 

その時、民はバアルを拝んでいた。外敵は、民を立ち返らせるために、主が許されたものだ。余りの苦しみに、主に叫ぶ。すると主は、その叫びを聞かれ、助けの手を送られる。私たちも、状況のみに目を奪われてしまう。突如の事態が起き、試練に会うとパニックになってしまい、驚き慌て、不安にかられ思い煩いに沈んでしまう。

 

状況を何とかしよう、状況を変えようと苦闘する。しかし、主の目線で見ると、そこには主からのメッセージがある。その事によって、何かを教えたいと思っておられる。何を教えて下さっているのか、祈り求めよう。そこに祝福と成長がある。

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主から離れることは災いだとイスラエルの民を通して繰り返し教えられる。同時に主のあわれみも尽きることがない。失敗を通して学ぼう。主は教えてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係