「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11:28

沢山の人々がこの御言葉により、主のもとへ来て、御言葉通りに休みを得た。疲れた人、重荷に心暗く、押しつぶされそうになっている人は、主のもとへそのまま来るようにと、招かれている。まず、本当の真実な休みは、主の十字架による罪の赦しから来る。罪の重荷から解かれ、心底の安堵を経験する。何という喜びだろう。

 

又、悩みや問題から来る重荷があるだろうか。なかなか解決できない難しい問題、経済的困窮、対人関係の悩み、身体の不安、将来の不安・・恐れや思い煩いで、心がつぶれそうだ。しかし主は、わたしが、あなたを休ませると。くびきとは、二頭の家畜を一つ方向に進ませるための道具だ。横木に二つの穴が開いていて、そこに首を入れる。

 

すると二頭共、同じ方向に進み、土地を耕す事ができる。主のくびきを負うなら、主が片方を負って下さる。同じ方向を向き、主と一つだ。何をしようと、どんな働きをしようと、主と一つとは、何という喜びだろう。嬉しい事だろう。主と一つなら、こんな平安はない。くびきをしっかり負う事から安らぎが来る。

 

くびきを逃れ、避けようとするなら、痛いばかりだ。環境は苦痛でしか無い。きちんと負うなら、主と一つなので、安らぎと共に、主から学ぶ事ができる。そこには苦痛も苦しい重荷も無い。今、心が苦しくて、疲れているだろうか。それなら負う必要のない、不必要な重荷を負っていないだろうか。

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この状況も環境もすべて主から与えられたと思えるとき、主は近く、主のくびきを負っていると感じる。問題の解決策も、結果も自分で握っているなら主に信頼し委ねきって、平安を受けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係