「けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです」Ⅰペテロ2:20

信仰者は試練があり、迫害があり、苦しみを受ける。主のための苦しみだ。しかし自分の至らなさや欠点ゆえ周囲に迷惑をかけ、トラブルを起こすならそれは迫害でない。信仰ゆえの苦難ではなく、信仰以前の事だ。誰でも、人に失礼な態度や言動をするなら、非難される。だが個人の落ち度でなく、キリストゆえに受ける苦しみがある。

 

今の私たちなら、信仰ゆえに悪口を言われ、仲間はずれにされ、嘲笑や無視の対象になり、理不尽な目に会う。しかし、キリストゆえの苦しみなら恥じる事はない。かえってその事のゆえに神を崇めるようにと。そして忍耐する時だ。苦難の時は忍耐を培われる時だ。忍耐とは我慢でなく、どんな状況下でも、神が必ず良くして下さると信じて行く事だ。この忍耐を働かせる時に成長して行く。

 

ある青年が家族の迫害に会った。余りにつらく、家におれず教会へやって来た。「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。・・善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです・・」

 

と牧師が御言葉を読むと、自分から「帰ります」と言い、主に励まされ平安与えられ、帰って行った。主のゆえなら受け取ろうと、信仰的、前向きに変えられた。今、理不尽な中にあるなら、主は、立派に振る舞いなさいと言われる。状況を、気持ちを、何もかも知っていて下さる。祈り求めよう。御霊は助けて下さる。

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愛する主を共に喜べず、主のゆえに苦しめられるのは最も悲しい。けれど主に向かって信仰が深く深くされていく。主に励まされて御心のふるまいを実践していこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係