「呪法師たちはパロに、『これは神の指です』と言った。しかしパロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった」出エジプト8:19

モーセが民を率いて、出エジプトの際に、次々と奇跡のわざがなされた。ナイルが血に変わり、かえるが全土に満ちた。呪法師たちも同じことをした。サタンも万能ではないが、奇跡を行う。同じ事をした。だが、地のちりが全土で、ぶよとなった。そして呪法師も同じ事をしようと、秘術を使ったが出来なかった。ぶよは人や獣についた。

 

そこで呪法師たちは言った「これは神の指です」と。どうしてもできず、これは神であるとわかった。しかし神のわざだと理解したからといって信じるわけではない。パロも、ますます心を頑なにした。彼らの言う事を聞き入れなかった。次に、あぶが全土に満ち、地は荒れ果てた。追い詰められたパロは、民を出て行かせると言った。しかし「決して遠くに行ってはならない」と。

 

サタンは、私たちにも「遠くに行ってはならない」と言う。信仰はそこそこでよい。すべてを献げるなど行き過ぎだ。罪から全面的に離れるなど、出来っこない。肉から、罪から離れさせたくない。成長させたくない。遠くへは行くな。ある程度でよい。今も誘惑が来ているだろうか。神は「わたしが主であることを知るようになる」との目的をもって十の災害を下された。

 

しかしパロはみわざを見るが、神を拒み、その結果ますます強情になり、頑なになって行った。主を拒んでゆくと、そのままではなく、更に心が固くなってしまう。私たちはパロのようでなく、苦しい試練の中で、心を頑なにするのでなく、受け止める時、神が主であることを知る事ができる。そしてその主を認め、ますます主を知り、成長して行ける。 

------------

自分しか見ていない心の高ぶりが、試練を拒み、試練を通して与えられる本当の神の恵みを見えなくしている。自分では何も出来ないと主に頼ろう。身を低くして主と共に試練を抜けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係