「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません」Ⅰヨハネ5:3

神を愛することで、よく勘違いしてしまうが、神を愛するとは、単に心に神を思う事ではなく、神の命令を守る事だ。神の御心を実際に具体的に行って行くことが、神を愛することだと言っている。そこに感情がついて来なくても構わない。感情は横に置いて、意志を主に向けて、主の助けを求めて、意志で御心を行って行けばよい。それを主に従った、主を愛したと受け取って下さる。

 

聖書の中の愛はすべて意志的愛だ。主の喜ばれる事を行い、御心を行って行く事だ。二人の息子がいて、父からぶどう園へ行き働くよう言われ、兄は「行きます」と答えた。が、行かなかった。一方、弟は「行きたくない」と言ったが、後で悪かったと思って出かけた。どちらが父の願った通りにしたかというと、後の弟の方だ。

 

口先でなく、実際に行うことが大切だ。信仰生活において、感情は後でついて来るものだ。感情は簡単にアップダウンし、コロコロ変わる。そんな感情に従っていたら、どこに向かうかわからない。迷走してしまう。感情ではなく、意志で御言葉に従った時に、感情が後でついて来る。

 

例えば、嫌いな人がいて、祈っていると、御霊に声をかけるよう示されたとする。感情は拒むのだが、意志で実行すると、不思議に平安にされる。従って良かったと思う。そして御霊の実を結んで行く。感情は横において、意志を向けて、意志でもって従おう。

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感情を優先することが正しいことのように思えるが、それでは何も変わらない。神を愛する道を歩もう。信仰による勝利は約束されている。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係