「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう」伝道の書11:1

一見、パンを水の上に投げよ、ってどういう事かと思う。パンがだめになってしまう事が目に見えている。パンが無駄になり、虚しく流されてしまう。全く意味の無い、無益な行為に見える。しかし御言葉は、それが無駄ではないと言っている。歳月がたってから、後の日に結果が現れると。

 

伝道すること、証しすることは、パンを水の上に投げるように、虚しく感じる事があるだろうか。チラシを配っても配っても、証しをしてもしても、結果が全く見えない。パンを無駄に水に流しているように、ガッカリ徒労に感じてしまう事もあるかも知れない。すぐに結果は現われない。しかし「ずっと後の日に」かなり月日を経てから見いだすと。

 

だから「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」と。主ご自身が報いて下さると。ある人は母親に証しをしていたが、信じる気配は全く無く、しかし星野富弘さんの本は感動してずっと読んでくれていた。

 

その母親はいまわの際に、主を受け入れた。星野さんの本も証しも、すぐに芽が出るのではないが、布石として、用いられていた事を知った。幾らチラシを蒔いても、証しをしても無駄なように感じる事があるかも知れない。しかし神の時に、その御言葉は生きて働き、わざがなされる。見える所でなく、御言葉に立ち、水の上にパンを投げ続けよう。

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ずっと後の日を見つめて、少しの勇気を出して小さな証し、声かけをしていこう。どこで成功するのかは主に委ねて、救われた自分自身の喜びを語り続けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係