「兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです」1ヨハネ2:11

人を憎んでいる時は、やみの中にいると、御言葉は言っている。罪を犯すとやみの中にいる事になると。やみの中なら、光がないので、何も見えない。一条の光でもあれば、そこはもうやみではなくなる。やみの中では自分がどこに行くのか知らないと。つまり正しい判断ができない。人への強い憎しみや妬みがある時、判断を誤ってしまい、誤った方向へ向かってしまう。

 

「もし、心の中に苦い妬みと敵対心があるならば・・真理に逆らって偽ることになり」「そのような知恵は上から来たものでなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するもの」「妬みや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがある」と。例えば妬む相手、憎む相手がいれば、まずその相手と接触しなくて済むように、自分の思いで行動をセッティングして行く。

 

するとすでに御霊が意とされる御心から離れてしまう。そして、相手を避けるように物事を計画するので、御霊の秩序から逸脱して行く。自分の思いで進み、主の秩序が乱れて行く。しかし自分の自然な思いなので、気づかない。自分が相手を憎み、妬んでいる事実を正直に認める時に、すでに光の中だ。闇の欺きから守られる。

 

そしてそれは祈りに持って行ける。助けを求めて祈って行ける。その祈りは聞かれる。認めないなら、ずっとやみの中になってしまう。まさにどこへ行くのかわからなくなってしまう。

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憎むには憎む理由があると、自分を正当化したくなるが、肉に引きずられて闇の中だ。罪を悔い改めよう。主が弁護し助けてくださる。光の中を歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係