「それで彼らは言った。『私たちは、主があなたともにおられるこ とを、はっきりと見たのです』」創世記26:28

イサクが井戸を掘る箇所が出て来る。ペリシテ人は、イサクが多くの家畜としもべを持つ事に妬んで、父アブラハムの時代に掘った井戸をすべてふさいでしまった。そして出て行けと。その時に、イサクはペリシテ人と争わなかった。そこを去り、ゲラルの谷間に住み、そこで井戸を再び掘った。すると湧き水が出た。

 

ところが今度はゲラルの羊飼いたちが、この井戸は自分たちのものだと、争って来た。しかしそこでもイサクは争わなかった。別の所に移動して、井戸を掘った。するとそこでも彼らは争って来たので、また、別の場所に移動した。そこで井戸を掘った時に、初めて争いが無かった。それで、「今や主は広い所を与えて、この地で増えるようにして下さった」と、主が与えて下さったと言った。

 

イサクは、ずっと理不尽な目に会い続けた。父が掘った井戸を土で埋められ、又、自分たちが掘った井戸は奪われ続けた。だが、争いを仕掛けられても、争わずに場所を変えては井戸を掘り続けた。「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられてもおどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった」まさに、主の姿であった。イサクはへりくだっていた。井戸を下に、下に、掘る事は、私たちもへりくだる事だ。

 

井戸を掘り、下へ下へとへりくだって行く時に湧き水が湧く。彼らを追い出したアビメレクは、彼らが豊かに祝福される様を見て「私たちは、主があなたと共ににおられることを、はっきり見た」と言った。主に従って行く時に、敵が、主が私たちと共におられることを見、認める。

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目の前にストレスを感じる大小の諍いが来るとき、心は反応し、平安が失せてしまう。ただ主を見て、主の恵みを信じて行動したい。主が共におられることが何よりの幸いだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係